2013年9月26日 木曜日

お言葉⑥ 〔名古屋市千種区本山 マッサージ 腰痛 むくみ〕

(前回の続きです)

もちろん今の世の中において社会的な礼儀や習慣を知らなければ

他人とのコミュニケーションがスムーズに行えないでしょうし

正義を前面に押し出さなければ力があるものや

悪智恵の働くものがもっと好き勝手にするような

社会になってしまうでしょう。

しかし相手の身になって考えるという優しさ

つまり「仁」の心が無ければ

人はお互いに間違え探しのように相手の欠点ばかり探し

自分の正当性だけを主張してギスギスした関係しか

作れなくなってしまうでしょう。


人は全てを知っているわけではありません。

それは自分自身もそうですし他人もそうです。

誰しも「礼」や「義」を知らない時代があり

それを社会に出るに従い覚えていくものであります。

そして人は誰しも間違うものであり

また知らない事を知る事によって成長していくものです。


だからこそ常に自分の行動を省みる「義」の姿勢は必要であり

また世の中から多くの事を謙虚に学ぶ「智」の姿勢も重要であり

他人が分からなくて困っているようであればそれを教え導くのも

また「仁」の心だと思います。


もちろん知りたくない人に無理やり教える必要はありません。

ただその人の身になって考え後々それが不利益になるようであれば

アドバイスくらいしてあげるのも「仁」であり「義」ではないでしょうか。

あとはそれを実践するのかしないのかはその人次第です。

その先の選択はその人自身にゆだねるべきでしょう。


ただいくら知識としての「礼」や「義」を知っており

それを行う「仁」の心をもっていても

それを実際に行う意志と自分の言った事は

守るという誠実さが無ければ

そこに「信」は生まれないでしょう。

なぜか礼儀作法やマナーのことをうるさく言う人ほど

その人自身が自分の言う事を守ってなかったり

やたらと他人の行動にいちゃもんつけたりする人って

いますよね。


これは心理学的にみると

自分の中にある欠点や言われたくないことなどを

他人に投影して攻撃することがあるらしいですね。

ですからやたらと他人の礼儀やマナーなどが気になる人は

自分自身を振り返ってみるのもよいかも知れないですね。


五常の徳は自律者の徳と言われているようなので

常に自分自身を省みる意味もあるのかもしれません。


儒教が生まれた春秋時代は実力主義が横行し

身分制秩序が解体されつつある時代でした。

厳しい時代に生まれ2千数百年にわたって

伝えられてきた智慧は、おそらくいつの時代でも

通じるものがあり人の心に響く部分があったからこそ

尊重され現代まで伝えられてきたのでしょう。

そんな智恵を現代に活かせたらもうちょっと

暮らしやすい社会になるのではないかなっと

思ってしまったのでした。

それこそ儒教のことばである「温故知新」ですかね?


皆さんはどう感じましたか?


以上スタッフ阪野でした!!

投稿者 隠れ家癒し空間ぬくもり