2014年3月25日 火曜日

人を「育てる」ということについて⑩ 〔千種区, マッサージ 腰痛 肩こり〕

(続きです。最後はちょっと長いです。)


さて以上のことは全て結果から導き出した考察であって

あのときこうしたら上手くいったとかこうすれば良かったのに

という類の話ではありません。

だから今回の例は、一つの参考としてもらえれば良いかな

くらいに思っております。



信念を持ち続ける事は普通はすばらしいことではありますが

どんなに素晴らしい信念であろうが必ず人に理解される

わけでも報われるわけでもありません。

むしろ強い信念を持つということは孤独になることかもしれません。

例え自分の考えに同調してくれる人がいたとしても

自分自身がずっと先を目指しているならば常に先頭は孤独だからです。

また人と人との縁はそれぞれ色々な形があります。

仲が良かった人と離れたり嫌いな人との腐れ縁などといったもの

もあります。

そしてなによりも人を育てるという行為には絶対的に

正しい方法など存在しないと思います。

以上のことを踏まえたうえでさらに信念を持つという行為にこそ

意味があると思うのです。

おそらく信念を持つということは周りの人の色々な

考え(否定や肯定)やいろんな状況さえ受け止め

それでもなお諦めずに前に進もうとする

意志を持つことではないかと思います。


だから安易に書籍や経営セミナーなどで教える方法や技術に頼り

周りの人の気持ちも無視して自分の考えの正否をそこに求めるようで

あればそれはもう信念とは呼べないのではないかと思うのです。

大切なのは目標に向かって一歩でも前に進み続けようとする

覚悟と意志でしょう。

おそらくその姿を見せ続けることで初めてその人のことを理解しようと

する人たちが集まってくるのではないでしょうか?

そしてその中から自分も同じようになりたいと思って

行動してくれる人が出てくれば、それはもう育てることと

同義ではないかとも思うのです。

考えてみれば日本の伝統技術や伝統芸能はそのようにして

育てる事が多いので案外そちらの方法のほうが日本人に

あっているのかもしれないですね。


今回、色々と思い出し考えてみて一つだけ思った事が

あります。


それは過去の経験によるプライドや理想にとらわれすぎて

目を閉じ耳を塞いで自分の考えだけに固執し周りのことが

見られなくなることはなんとなく違うんじゃないかなってことです。



さて今現在その人がどうなったのかは分かりません。

すべてにおいて妥協し諦めてしまっているかもしれませんが

理想をもって更に前に進もうとしているかもしれません。

というよりそうなっていていつかその人の名を聞く日がくると

良いと思っています。


いや~今回も非常に長くなってしまいました。

考えてみればお言葉シリーズから始まって

自分が書きたかったのは人の成長に関して

かもしれません。

とはいっても自分自身でもまだよくわからないのですが・・・coldsweats01

皆さんはどう思いましたか?


以上スタッフ阪野でした!!!

投稿者 隠れ家癒し空間ぬくもり